3月19日 | 日めくり別個体
3月19日

3月19日

今日は寝不足。朝ごはんはポトフ。
通勤中に珍しく職場の人と出くわして、少し話をした。
色んな話を聞いた。

仕事中は思っていたよりきつすぎず、なんとかできた。
ただ途中で強烈に手首が痛くなったので、腕時計を外した。

もともといこうと思っていたイベントの予約をした。
なんとなく火が付いたので、別のイベント予定などを見てまわる。
あまり成果はなかった。

友人と会う予定ができた!……けど、残念ながらキャンセルすることに。
今は精神状態がおかしすぎる。
友人は快く許してくださり、申し訳ない。

まわりのつらい状況に目を奪われ、キャパオーバー気味。
まわりの楽しそうな姿に目を奪われ、劣等感気味。
最近はざっくりそんな感じ。
人が楽しそうにしていると羨ましいなと思うし、
人がつらそうにしていると苦しいなと思う。
こうして書くと、「周りに振り回され過ぎ」という言葉が一番適切なのだろう。

ただ「周りに振り回されない」ということを容易にできていいのだろうか。
上手く言えないが、特に後者の感覚を損なうと、
ニュアンス的に「不義理」につながる気がする。
人の気持ちに対して、一定の思いを寄せられない人間ではいたくないのだ。

……しかしまあそういうことは、日常生活に支障をきたしている間は
言えるべくもないだろう。
たとえ今消極的に不義理になろうが、天秤にかければ
日常や人間関係に支障をきたす(能動的な攻撃性がある)方が問題だ。

分類としては「自他境界」や「バウンダリー」、
あとはアドラー心理学における「課題の分離」あたりの課題となるだろう。

しかし、そこまでわかったはいいが、
自分が「休まる」方法への展望は露も見えない。
今の自分が「休まっていない」と認識できるところまで来たはいいが、
では今休まっていない自分が何を欲しているのかは、まったく分からないのだ。

ストレッチをする。深呼吸をする。湯船に浸かる。
たとえば今日買い足せたから、明日の歯磨き粉がある。
気がかりをなくす。気になっていたゲームをする。
思う存分寝てみる。
自分にはそもそも、「休まった」という認識そのものが
欠落しているのでは?と疑ってしまう。

たとえるなら、小さな虫が群れを成しているようだ。
一時払いのけても、またすぐ集まってくるような。
何をしても、漠然としたざわつきが、すぐまた戻ってくる。
……こういう考えをしている時点で、
マインドフルネス的な観点で言わせると、もう「違う」のだろう。

思考のループ。
だましだましやっていると、日常は分刻みで切り刻まれていく。
つまり、それだけ記憶のないタイミングが増えるのだ。
リラックスする手段。何か見つけないと。

こういうことを言っていると、「上に天井がある。」というゲームを思い出す。
私の陥りがちな問題について、よく描写された
強い親近感を覚えるゲームだ。

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