毎日、私をゆらす人たちのところへ、行かねばならない。
みんな、私の顔もろくに見ないで、気ままに私をゆらす。
それでいてみんな「あなたの顔を見ていますよ」という顔をしている。
質が悪い。
しかもそんな場所に行くために、
私はご飯を食べないといけないし、お風呂も洗濯もしないといけない。
わざわざ頑張って、苦手なこと、不快なことをしてから、
わざわざ嫌なことをされに行かないといけない。
これほど苦痛なことがあろうか。
私は私に、綺麗や健康という概念を獲得したというスタンプを押さねばならない。体感的なものは何もないのに。
そしてそれを獲得してからでなければ顔を出せない場所に、顔も出したくないのに行かねばならない。
苦痛だ。
全うしたい役割はある。頑張りたいとも思っている。
しかしその役割に向かうために必要な出来事でこんなにも躓く私は、
本当に「考えすぎ」なのか?
自分という身体の動かし方や運用方法を考えなければ、身体も起こせないというのに。
その時は 私で私を揺らすから それまで誰も 揺り起こさないで
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